自己肯定感を無理なく高める方法

学校など教育の現場では、

子どもたちの自己肯定感を高めるための

研究や実践が行われています。

日本の子どもたちは諸外国に比べて、

自己肯定感が低めだからです。

 

自己肯定感が低いことが”問題”となれば

低い人は悩むかもしれませんね。

 

そんな自己肯定感像を背景に

無理なく高める方法について、

お伝えしていきます。

 

自己肯定感とは何か?

自己肯定感とは、

ありのままの自分に対する肯定的な意識

ありのままの自分の姿を事実として受け入れること

のことをいいます。

 

自分にOK出す

自分を信頼する、信じる

自分には価値がある

自分の存在が尊重されていると感じれる

自分に自信がある

 

これらのものは生きていくための力であり

こういったものがすくないと、

生きづらい人生になるかもしれませんね。

 

自己肯定感の発育不良となる要因

自己肯定感は発達の過程で作られていきます。

物事の背景にはいろんな要因が複雑に絡み合っていますので

一概に因果関係は言えないとは言え、

自己肯定感が育ちにくくなるいくつかの要因はあります。

愛着形成過程の阻害

「愛着」とは一人の人間が他者とつながる情緒的絆です。

子どもは一人で生きていけないので

誰かと安心安全な心の絆を結び世話をしてもらいます。

サバイブは発達の基礎です。

 

発達過程で愛着形成が阻害されると

「自己肯定感」の土壌が育たず発育不良になります。

とりわけ子どもの頃の体験は

人格形成や思考・行動パターン・人との関わり

のベースとなりますので

影響が大きいと言えます。

 

・自分の意思や感情を認めてもらえない

・批判的な言動を受け続けた

・他者に必要以上に気を使わなければならなかった

・我慢を強いられる環境下にあわせて偽りの自己でサバイブした

・痛みや不快な感情の蓄積から感じることにブレーキをかけてきた

・「見捨てられ不安」があった

 

これらのことが繰り返し長期にわたって経験すると

愛着の土台を築くことに影響が出てきます。

 

厳しすぎたり過保護過ぎても子どもの成長に影響が出ます。

子どもがありのままの姿として愛されずに育つと

自分の存在価値に疑問を持つようになるかもしれません。

トラウマ経験

生きていく中で、いろんな経験を私たちはします。

その経験の中で深く傷ついた経験は

未完了のままマイナスの記憶として残ります。

 

そこから逃れられなかった自分に対して

無力や無価値を感じさせられるものかもしれません。

 

誰しも大小の心の傷、トラウマを持って生きています。

トラウマを持っていることは普通なことですが、

心の悩みや課題となって出てくるものがあります。

 

未完了となって残っている体験や感情、

ストレスがトラウマとなります。

解決されずに残ったトラウマは

様々な場面で出てきて

マイナス感情や無意識の行動を引き出します。

 

傷ついた心は敏感になっていますので、

ちょっとしたことで反応してしまうかもしれません。

 

例えば友たちにメッセージを送ったけど、

二日経っても返事がこない。

いつもだったら1日も経たずに返信があるのに・・・

 

たちまち不安になって、

わたしが悪いことをしたのだろうか?

わたしのことが嫌いになったのだろうか?

なぜ拒絶されなければならないのか?

 

心の痛みに様々なマイナス感情を感じる時、

過去の癒しきれていない古傷が痛む

ということに気がつくかもしれません。

トラウマ記憶が自分の価値を正しく判断することを

鈍らせることもあります。

 

思考の癖やパターンからの影響

不安や恐怖、恐れが繰り返し起こると

自分を守るために脳の警戒レベルが

ずっと高いままで維持されます。

それらは常に危険や恐怖はないかと働くので、

必要以上にマイナス要因になりそうなものを

拾ってくる思考パターンを作ってしまいます。

 

そうすると、

自分の良い側面にも気づきを得られにくいし、

人からの褒め言葉も素直に受け取れなくなる

かもしれません。

 

自分に自信を持てず、

過小評価をしてしまうパターンを

作ってしまうのです。

神経系からの影響

神経系も自己肯定感に影響を及ぼすこともあります。

その中で自律神経系はじわじわ影響を及ぼします。

 

自律神経には

活動的に動くためのモードの交感神経と

安静・リラックスモードの副交感神経があります。

この二つの神経系がお互い状況に合わせて働き

身体や精神のバランスを支えています。

 

自律神経は結構簡単に乱れるのですが、

長期間の緊張状態や恐ろしい事が続いたりすると

このバランスがおかしくなり不安や恐怖、

イライラが多くなって

物事の受け止め方もマイナス傾向になります。

 

自分を信じて良い場面でも、

マイナスの方へ引っ張られて

プラスが見えにくくなります。

自己肯定感は高ければいいの?

自己肯定感が低すぎると生きる力が出ませんが、

高すぎるのも考えものかもしれません。

 

例えば、自己愛が強すぎると諸処

不具合が出てきやすいです。

 

他人から自分を承認されることを求めすぎたり

見栄や根拠のない自信で自己を支えるのは

なかなか脆く危ういものと言えます。

 

違う角度から見ると自己評価が低く

弱い自分を守るための

防衛反応のようなものかもしれませんね。

 

自己肯定感を無理なく高める

最初に、自己肯定感は◯◯があったら大丈夫。

というものではありません。

むしろ、

◯◯があるから大丈夫!

と設定することの方が危険度大!です。(笑)

 

なぜなら、価値観や状況がひっくり返ると

それに付随して作り上げてきたアイデンティティも

崩壊する危険性があります。。

 

例えば、

有名企業の社員

大金持ち

 

などを自己肯定の中心においてしまうと

外的環境で突然変化して

失ってしまう可能性もあるからです。

自己肯定感と優越は別物です。

 

 

パーツに寄り添う

自己肯定感が低いと思う自分を

認めて丸っと受け入れましょう。

 

というと、

そんな簡単にできないから苦しんでるんだよ!

と怒られそうですが

現状を認めることは変化のスタート地点に立つ事なので

とても大事です。

 

と言っても、

自分に生きていく価値がない

と思っているのに無理やりポジティブに

生きていく価値がある

とマイナス感情を無かったことにするのでは

いつまで経っても変化が起きません。

 

最初は受け入れられなくて良いのです。

判断は抜きで認めてあげてほしいのです。

そう感じるのも自分のパーツの一部なんだと。

 

そして、そのパーツが持つ

怒りや痛みや悲しみ恥などの感情に寄り添ってみる。

 

どっからその感情が出てきたのかな?

と探索してみる。

 

一緒に眺めてみて気づいたことをノートに書いたり

信頼できる人に伝えてみる。

客観的な視点で見てみて

自分に対してアンフェアな評価がないか?

みてみる。

 

もし、厳しすぎる評価をしている気づきがあったなら

自分を許しその評価を緩めてあげましょう。

 

バウンダリーズ(境界線)

他人から自分への褒め言葉や励ましは、

自己肯定感を高めるにはとても良い機会です。

 

しかし、あまりに他人の評価を気にしすぎるのは

ありのままの自分でいるための

阻害要因になるでしょう。

 

大事なのは、

自分も他人も尊重されているということ。

そのためには

自他が自立的に生きることを認め合うこと。

 

自分が他人の言動に責任を持つ必要はないのです。

ここまではわたしの責任で、

ここからはあなたの責任。

 

冷たい風に感じるかもしれませんが

皆それぞれの人生を生きているのです。

他人の要求を満たすためだけに

自分が存在するのではないのです

 

誰がその言動の主体なのか?

の線引きにおいての視点から自己決定し

自分の人生を自立的に生きていけるのです。

 

他人と自分の領域を自覚し線引きできることで

自分を守る、外部からの侵入を容易にしないことは

心身の成長の上でも大事なことです。

 

他人の評価に一喜一憂しない

自分の領域を保つ練習を積んでいくことで

より自由に表現できる自分になってきます。

 

最後に

殆どの人は物事を自分の都合のいいように解釈し、

自己を騙し騙ししながら日々生きていたりします。

人生を前に進めるために、折り合いをつけながら生きている。

 

自分の価値を自分で認めるために乗り越えてきた数だけ

自信や自分を信頼する力などが増えて悩まない

と必ずしも言えないところがある自己肯定感。(笑)

 

ふとした時に、ふわっと無価値を感じることはある。

無力感に苛まれることだってある。

それが人間で、そう造られているのだと思います。

 

自分の弱いところを知っていることで

他人に優しくなれたり人の弱さに共感したりが

できるのでしょう。

 

実際のところ、自分がこの世にいる価値の根拠を並べろ!

と言われると脳みそが爆発しそうな気がします。(笑)

 

また、グラグラと不安定に揺らぐのも

自己肯定感であると思っています。

 

ある程度自分をゆるく騙す感じ

あるいは罪の無い勘違いくらいの「自己肯定感」

をふんわりと持っている方が生きやすく、

この世に存在しやすそうな気もします。

 

度が過ぎた自己肯定感もイタイ気がしますが、

いつか自分で自分の価値を証明することを

どうでも良いと思える日が来るのかもしれません。

 

それまで、私たちはもがき続けるのでしょうが、

弱さも持っている自分を認めるという事、

いけていない自分を許し受け入れるという事、

全部ひっくるめてわたしが存在している。