優しい人はお好きですか?

TVや雑誌とかでどんな人が好きですか?という質問に、

「優しい人が好き」って答える人結構いるよね。

そりゃ、攻撃的な人やすぐ怒ったりイライラする人といるよりは、

自分に優しくしてくれる人と一緒に居たいよね。

 

じゃあ自分は、自分に対してどう接しているのかな?

大失敗しでかした後、そんな問いかけがふと頭によぎった。

 

自己嫌悪はどっからくるの?

つい最近、スーパーに買い物に行って財布を置き引きされた。

正確に言うと、セルフレジで買い物した時に財布を台に置いて精算し

そのままその場を離れた。

 

時間にして2、3分くらい。

あっと気がついて戻ったら、もう無くなっていた。

 

財布の中には運転免許証や数枚のクレジットカードやら銀行のカードやら

大切な個人情報が入っていた。

頭に一気に血が上って顔が熱くなり、心臓がばくばく鼓動してきた。

ヤバイ!

店員さんにすぐ事情を説明し、見つかったら連絡して欲しいと

電話番号を書いたメモを渡した。

 

こんなミス初めてだ。最低の気分。へこむ・・・

なんて、ばかで間抜けでケアレスな私なんだ!!

 

って自分を責める声が暫く頭に鳴り響いて、惨めになってきて自己嫌悪に陥った。。

こんな時にこそ、優しい慰めの言葉が欲しいー!(笑)

っていうのに、自分に対してなんて辛くあたってしまうのでしょう。。(涙)

 

自己嫌悪がどっからくるのだろう?って思った時、

自分はこんな感じでいたい「自己理想像」みたいなものに対して

期待外れのことをしちゃうと、むくむく出てくるパターンが多い

普段「めちゃめちゃ高い理想のわたし」があるわけではないが、

失敗や失態に対して「手厳しいわたし」が声を張り上げるようで。。

 

ありのままの自分になるの!

ちょっと昔に、「アンと雪の女王」の主題歌の、「Let’s it go ありのままで」

っていう歌が流行った。その時の歌詞を思い出した。

 

(抜粋)風が心にささやく このままじゃだめなんだと

ありのままの姿見せるのよ ありのままの自分になるの

 

男友達と電話していた時、この歌詞が話題に出た。

彼は非常にプライドの高い外資系で働くビジネスマンだったが

「ありのままで受け入れられる訳ねーだろ」と、

ポツリとつぶやいたことをよく覚えている。

 

現実の自分と理想的な自分が近ければ近いほど、悩む人はいないのかもしれない。

現実と理想が離れていれば離れているほど、葛藤や悩みは増えることになる。

 

この歌の歌詞の続きでは、ありのままの自分で受け入れた後、

風よ吹け、もう寒くない

悩んでいたことがうそみたいね、自由よ なんでもできる

どこまでやれるか 自分を試したいの そうよ変わるのよわたし

 

と前向きな力強い歌詞が続き、最後には

 

これでいいの 自分を好きになって

これでいいの 自分を信じて

 

と自分自身に言い聞かせているような歌詞で終わる。

本当にありのままの自分を受け入れられたのか?よくわかんないけど、

どういう自分でいたいかは自分で決められるので、好きになって自分を信じれることは

生きていく上でパワフルな武器を持っているとも言えそうだ。

 

どんな自分でも死ぬまで一緒にいるのは、家族やパートナーや友人でもなく自分。

今の自分を受け入れて肯定できる人は、ある意味強い。

全面肯定できなくても、ちょっと気にくわないところもあるけど

生涯のベストフレンドとして自分自身と早期に友好条約結びたいね。

そしたら、仲良くなるために失敗は大目に見てくれたり、

時には優しい言葉がけをかけてくれるかもしれない。

 

より自分と仲良くなるためには?

まず、自分に対する管理を緩められないか?手きびしい自分と交渉してみて欲しい。

自分の落ち度に対して、聞こえてくる厳しい声に対しては別の見方をするとある意味、

自分を理想の自分のイメージから遠ざけないために、守ってくれていたり

管理監督してくれている部分でもあると言える。

 

そう思うと、「今まで守ってくれて、わたしのために働いてくれてありがとう」

って感謝の意を伝えてもいいのかも。

その気づきが意味するところは、認められたことで

幾分厳しい管理を緩められるところが出てくる期待と

同じ間違いを繰り返さないようにと学びと成長の機会になる。

 

満額100%ありのままの自分を受け入れることは、

今日出来なくてもすぐ出来なくてもいい。

速攻できる人なんていないし、少しずつ育てていくほうがリバウンドしなくていい。

急激なダイエットは、すぐ元の姿に戻っちゃう。

変化に抵抗は付き物。

その抵抗を緩めるためにも、ゆーーっくり優しく無理なく進めて行きたい。

 

今日出来た小さな事を認めることから始めてもいい。

わたしは過去サボテンや植物を水をやりすぎて枯らしてしまったのだけど、

今日は何もせず見守ってるだけでOK出すのも小さなことだけど、

一つ出来たこととして認める。

超ちいさなことでいいんです。

ノートやスマホにメモ書きして、時々読んで振り返ってみてもいいね。

 

 

 

 

さいごに、

冒頭で書いた財布。店を出て数十分後に見つかりました。

警察に落とし物の届けを出している時に、スーパーから電話があって

おばあさんが届けてくれたということ。

現金は殆ど入っていなかったのだけど、何も失うものもなく戻ってきた。

捨てる神あれば拾う神あり。

全身の力が一気に抜けたと共に、「見つかってよかったね」

と言ってくれた警察官やスーパーの方々、お騒がせしてすみませんでした!

ありがとうございます。